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大阪高等裁判所 昭和29年(う)1813号 判決 1955年6月10日

被告人 矢守芳蔵

弁護人 前堀政幸

検察官 志賀親雄

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、末尾添付の弁護人前堀政幸作成名義の控訴趣意書記載のとおりである。

控訴趣意第一点について、

所論は、原判決は被告人の公然わいせつ罪の成立を認め、これに対し刑法第百七十四条を適用した、しかし同条にいわゆる公然とは不特定の衆人に認知せられる状態を云うのであつて、特定の少数人のみが認識し得るに過ぎない状態を云うのではない。従つて本件の場合、その性交実演の場所は公開又は開放せられていない旅館一美の二階六畳の密室内であり、又その見物客も一定の料金を支払うことにより特定した最少二名ないし最多五名の比較的少人数であつて、特に原判示の別紙一覧表記載四の場合における見物客は警察職員ばかりの特定の少人数であつたのであるから、かような状況における性交の実演は到底公然とは云えないし、又たとえそれが反覆する意図の下に行われたものであるとしても、それだけの理由で当然に公然性を具有するに至るいわれはない、従つて、本件被告人等の各所為につき公然わいせつ罪の成立を認めた原判決には理由のくいちがい又は不備或いは法令の解釈適用を誤つた違法があると云うのである。

按ずるに、生物は生殖の本能と種族保存の本能を有するのであつて、人類もまた生物の一種としてこの本能に支配せられ、性交によつて永遠の生命を保持するのである。従つて性的行為は社会の存在する根本条件であるから、性的道徳は古来から保護せられて来たのであるが、他面性欲を刺げきし満足せしめる行為が社会の健全な性感情、善良な風俗を害し、社会の秩序を破壊する場合には刑法の干渉を受けることとなるのであつて、刑法第百七十四条もまたこの意味から設けられている規定である。従つて、同条にいわゆる公然の意味も右の趣意に則り解釈せられなければならないのであつて、この趣意を離れ単に文字の末節のみにとらわれた解釈態度は同条本来の使命と目的とを忘却するものといわなければならない。従つてこの見地に立つて同条を解釈すると、同条にいわゆるわいせつの行為とは性欲の刺げき満足を目的とする行為であつて、他人に羞恥の情を懐かしめる行為を云うのであり、又公然とは不特定又は多数人の認識し得べき状態を云うのであつて、必ずしも現に不特定又は多数人に認識せられることを要しないのである。従つて、特定の少数人のみの認識し得る状態においては原則として公然とは云い得ないのであるが、もしそれが現に特定の少数人が認識し得るにすぎない状態にあるにせよ、偶発的に行われたものではなく一定の計画の下に反覆する意図をもつて不特定人を引入れこれを観客として反覆せられる可能性のあるときは上記の趣意から見て、不特定又は多数人の認識し得べき状態であると解すべきであり、従つてこの場合には公然性を具有するに至るものとしなければならないのである。ところで、本件について考えて見るに、記録によると、昭和二十八年三月頃被告人矢守及び原審相被告人塔筋、吉岡、小海等は相談の上いわゆる「のぞき」を計画し、塔筋がこれを被告人奈佐及び原審相被告人余里に打ち明けてその承諾を得、右塔筋、吉岡及び小海等が街道の通行人中から適宜見物客を誘い、輪タクに乗せて余里の経営する旅館一美の二階に連れ込み、同所において被告人矢守及び右奈佐の両名がその客の面前で性交の実演をすることを打合せ、右打合せに基き反覆累行する意図の下に本件の各わいせつ行為が行われたものであることが明らかであるから、所論のようにたとえその性交実演の場所が旅館の密室であり又その見物客が二名ないし五名の比較的少数人であつたとしても、それが不特定又は多数人の認識し得べき状態で行われた公然のものであると解せられるのであり、又原判示の別紙一覧表記載四の場合についても、その連れ込んだ見物客がたまたま被告人等を検挙する意図の下に内偵していた警察職員であつたと云うに止まり、その連れ込み方法、被告人等の意図等において同表記載一、二、三の場合と何等異るところはなかつたのであるから、それが同様公然性を具有するものと認め得べきこと多言を要しない。所論は要するに刑法第百七十四条の真意を正解せず独自の見解を開陳するびゆう論であるから採用しない。よつて以上と同趣旨の下に被告人の公然わいせい罪の成立を認めた原判決は正当であつて、原判決には所論のような違法はないから、論旨は理由がない。

同第二点について、

所論は、原判示の別紙一覧表記載一、二、三の犯罪事実、特にその構成要件である公然性の点については、被告人の自白以外にこれを認め得べき補強証拠がない、しかし原審相被告人等の自白は被告人の自白の補強証拠とはなり得ないから、これ等自白のみによつて右一、二、三の事実を認定した原判決には憲法第三十八条第三項及び刑事訴訟法第三百十九条第二項に違反した違法があると云うのである。

しかし、原判決はその判示の別紙一覧表記載一、二、三の事実を認める証拠として被告人自身の司法警察員及び検察官に対する各供述調書中の自白以外に原審相被告人塔筋佐太郎、奈佐シナ、小海雅一、吉島定治、余里都美等の検察官に対する各供述調書中の自白を掲げているのである。しかして被告人の自白を補強する証拠は、それによつてその自白の真実であることを肯認され得るものであるかぎりその種類には何等法定の制限がないのであるから、共同被告人の供述(自白)といえども右の要件を具えるかぎり補強証拠とすることができる(最高裁判所昭和二三、七、一四大法廷判決、同昭和二四、五、一八大法廷判決参照)のであり、しかも記録によると、右原審相被告人等の各供述は、被告人等の自白の真実性を肯認せしめるに足るものと認めるに十分であるから、これ等の証拠を綜合して判示事実を認定した原判決には所論のような違法はない。

同第三点について、

所論は、原判示の別紙一覧表記載の一、二、三の事実に関し被告人及び原審相被告人等が警察員及び検察官に対し為した各自白は、同人等が取調官の意を迎え殊更にその供述内容を一致せしめようとした虚偽の供述であるから、これを証拠とした原判決には事実の誤認があると云うのである。

しかし、原判示の別紙一覧表記載一、二、三の事実はその挙示の証拠を綜合して十分認め得るところであり、所論に鑑み記録を精査するも被告人及び原審相被告人等の警察官及び検察官に対する供述は真実に反するものとは認めがたく、又それが公判廷における供述と相反するからとて直ちにその信用性を失うものではなく、原審の証拠の取捨選択には少しも反経験則、反論理法則の点はないから原判決には所論のような違法はない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法第三百九十六条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 松本圭三 判事 山崎薫 判事 西尾貢一)

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